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2004.07.01

つるや(鎌倉由比ヶ浜)-1

040701tsuruya

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前の日、よくあることだが1食しかしなかったので、今日は由比ガ浜通りの「つるや」で鰻重を食べる。
できあがるまでに40〜50分はかかるので、電話しておいて頃合いを見て行く。
なぜこんなに時間がかかるかというと、浜名湖から仕入れ、井戸水の中に一週間ほど放して、余分な脂や泥臭さを落とし身が締まった鰻を、注文を受けてから取り出してさばき、焼き、蒸し、1929年(昭和4年)の創業以来少しずつ付け足して使い続けているタレに三回は付けて馴染ませ、備長炭でじっくり焼き上げるという工程を律儀に守っているからだ。

鰻の脂と辛口のタレがほどよく焼けた香ばしさと身の実にほっくりした食感は他の店ではまず味わえない。私にとって鰻といえばこの店だ。

どのガイドブックにも載っているが、川端康成をはじめとする「鎌倉文士」たちや、往年の大女優・田中絹代がひいきにしていたという。

田中絹代(1909-1977)といっても今の若い人はほとんど知らないだろう。
1924年(大正13年)14歳のときが映画デビューだから、私にしても同時代の俳優として知っているわけではない。
溝口健二「西鶴一代女」「雨月物語」、木下恵介「楢山節考」、小津安二郎「彼岸花」、市川昆「おとうと」などの田中絹代は、学生時代以降、日本映画の歴史を意識的に観直しはじめてから「発見」したようなものだ。
かろうじて死の3年前の熊井啓「サンダカン八番娼館・望郷」(1974・当時64歳)は封切りで観て、老婆役を演じきった凄みに感嘆した覚えがある。

新藤兼人「小説田中絹代」(今手元にないので正確は期せないが)によると、彼女は毎週月曜日に「つるや」を訪れて鰻重を食べ、女主人とひととき話していく、というのが決まりだったそうだ。1977年、ガンで亡くなる1週間前に入院先の目黒の病院から婦長と一緒にタクシーで食べに来た、という話も「ぶらり鎌倉—ちょっといい味いい話」(藤井宗哲/みずうみ書房)に伝聞として出ている。

つるや創業の1929年(昭和4年)が、田中絹代(当時19歳)にとって新進気鋭の小津安二郎「大学は出たけれど」での主演を果たし、人気スターの座を得た年であることも、彼女にとって意味があることだったかもしれない。

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