虚子庵趾(鎌倉由比ガ浜)
近所の虚子庵趾。
高浜虚子(1874—1959)。愛媛松山出身。俳人、小説家。
1910(明治43)年この由比ケ浜の家に越し1959(昭和34)年の死去まで暮らす。虚子庵と呼びしばしば句会を催した。
本名は清だが師事した正岡子規から本名と同音の虚子の雅号を受ける。
子規が後援していた雑誌『ホトトギス』を継いで編集発行にあたり、多くの俳人を育てる。
漱石の『吾輩は猫である』もこれに発表され(1905年)ブレイクした。
自らの俳句、俳句観としては、定型と季語を守り「花鳥諷詠(ふうえい)」を唱える守旧派だったが、ここから世に出た俳人たちは多彩だ。
渡辺水巴、村上鬼城、飯田蛇笏、前田普羅、原石鼎、長谷川零余子、長谷川かな女、野村泊月、昭和に入っては、水原秋桜子、山口誓子、阿波野青畝、高野素十をはじめ、日野草城、川端茅舎、松本たかし、富安風生、山口青邨、中村草田男、中村汀女、星野立子などなど。
江ノ電踏切際の句碑ー
波音の由比ヶ濱より初電車 虚子
【補注】
虚子がここに越してきた1910(明治43)年に江ノ電の江ノ島〜鎌倉間が開通した。「初電車」はその一番電車か虚子が乗った初めての電車なのだろう。
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