勝烈庵(鎌倉・御成)
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この2週間、風邪で寝込んでいて、ほとんどろくに食事を摂らなかった。1日1食すらしていないだろう。
で、というわけでもないが、大学に入学する息子の服をPoloラルフローレン鎌倉で買ってやった後、由比ガ浜の「Ristorante Cipollino」へ。
若宮大路からちょっと入った住宅地にひっそりあるので観光客には分からない。地元のマダムたち御用達。
アンティパスタは鮮魚のカルパッチョ、ホタテのソテー、グリーンピースソース添え。ホワイトアスパラとポーチドエッグ、トリュフの香。パスタは仔ヤギのストロッツァプレティ。魚はポロネギ、あさり、赤たまねぎ添えの鯛のロースト。肉は仔牛のロースト。デザートはかぼちゃのタルト、レモンに漬け込んだフルーツとキャラメルのアイスクリーム。クレマコッタとバニラのアイスクリーム。ここのコーヒーは香り立っていてとてもおいしい。
2週間分の食事を取り戻したような気分。
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天ぷらは江戸の頃は屋台で供される立喰いの庶民の食べ物だった。
寿司と同じように、現代では高級化と低廉化の二極になりつつある。
鎌倉で天ぷらといえばまず老舗の「ひろみ」。
おまかせなどのコースのカウンター席は2日以上前からの予約が必要だが、テーブル席では気楽にさまざまなメニューから選べる。
小津安二郎は当時の松竹の俳優たちを連れてよく訪れた。天ぷらをつまみに熱燗と先代の主人、奥さんとの会話を楽しみ、最後に天丼を食したという。
小林秀雄は昼の散歩の途中や夜ゴルフの帰りなどに寄る。昼は決まって天丼で、かき揚げ、穴子、メゴチだけが載っている特注丼だった。この天丼がいつしか「小林丼」と呼ばれメニューとなった。
「ひろみ」のてんぷらは胡麻油をたっぷり使っていて香ばしく、少し狐色にカラッと揚がっている。活車海老、タラの芽、キス、ワカサギ、アスパラガスなど。写真のものにはさらにミニかき揚げ丼が付く。
酒は福岡の焼酎「蔵の平太」。スペイン産シェリー酒の樽で作るのでブランデーのような芳香がする。
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冬場でも、うらうらと晴れて風も無い日のランチには、御成通りから由比ガ浜通りに出たところにある『グリーン グローブ ガーデン(Green Globe Garden)』にMicと行く。2階屋上のテラスが気持ちいいのだ。犬のための水も用意されている。脇下では江ノ電が時折ゴトゴトと行き来する。
ところでMicの今のところの苦手なもののひとつに「下が開いている階段」がある。普通の階段はまったく平気なのだが、ここの階段のように下が開いていると脚がすくんで昇れない。まあ考えてみると人間は足下のステップだけを気にしているのだが、犬の目線からすると目の前は得体の知れない高さのある空間が拡がっているのだろう。
きょうのランチは自家製フォッカチオ(オリーブ油を練り込んで焼き上げたパンでここのはとてもおいしい)の全粒粉のものにツナのペーストを塗り、ハム、野菜、チーズをはさんで食べるサンド、野菜スープ、オーガニックコーヒー。お手ふきはケナフ製だ。
この店は東電環境エンジニアリングが運営する「環境デザインショップ」で、オーガニックカフェの他、自然食品、季節の植物、インテリア小物グリーン、エコレンガ風ブロック、犬グッズなどいろいろ扱っていて楽しい。またガーデンデザイナーの谷田部淳子さんが庭造りの提案も行う。
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鎌倉で私が一番好きな店だ。
今の所に越してくるとき囲炉裏をしつらえたのもこの店の影響だ。
なぜ好きか。旨い?もちろん!
それだけではまったくなく女将に惚れ込んでいるからだ。
秋田出身の女将が小町に店を開いて来年で40年になる。女将が焼き、美人の娘さんが奥で下ごしらえする。
坂ノ下のパークホテルで開いた35周年記念パーティーのときには数百名の馴染み客が集まって祝った。
小さな古い建屋の一角で、囲炉裏三方あわせて十名しか座れないし、皆必ず腰を落ち着かせてしまうので入るのは容易ではない。
基本は田楽(でんがく)。京の田楽は味噌を付けず、それはそれで洗練されているのだが、ここの田楽は野菜、魚に味噌(味噌・柚子味噌・山椒味噌)を付けて囲炉裏の炭火脇に串を立てて焼く。里芋、椎茸、豆腐、ネギ、ピーマン、茄子、銀杏、鶏、鶏レバー等々。椎茸のタレなどは絶品だ。魚の場合は魚田(ぎょでん)という。季節にあわせ、かます、かれい、えぼだい、やりいかなど日々替わる。味噌が炭火にじりじりと炙られることで風味が増し、魚の身はほくほくとしてこの上なく美味。
冬場はボリュームたっぷりのきりたんぽ鍋がメニューに加わる。
女将は人生の練達であり、特に若い人への伝統的な食の伝道者であり、客の観察家であり、相談者であり、ときに辛辣な批評家だ。
食と食物にいい加減な態度をとる客、横柄な態度をとる客に穏やかななかにも厳しく応対するさまをこれまでずいぶん見てきた。
繰り返すが私の中でもっとも大切にしている店。
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長谷駅近くの「以ず美」は、店のたたずまいからして、寿司職人の凛とした求道感と気配り、そして清潔感に満ちている。
白木ではなくどっしりした欅を削り上げ漆で仕上げたカウンターと椅子。つけ場には指物職人の腕が光る見事な檜のネタ箱がいくつか重ねて並び、手間のかけられた鮨種が整然と納められている。
ご主人の神代三喜男さんは寿司職人歴30年を越える。目黒の「いずみ」で先代の故・佐藤勇さんを師として修行した。この店名はそれを受けている。
神代さんは私の好きな「職人の風貌」をしている。鮨にかける気迫、執念、あくなき努力といったものが面貌と立ち居振る舞い、素材と道具の扱いにひしひしと感じられるのだ。
けれどけっして偏屈などではないし、えらぶってもいない。むしろ気さくといっていいから緊張せず安心していい。
素材は築地で選ぶ。五島の鯖やアラ、大間の本マグロ、羽田沖の穴子、明石のタコ、青森のアンキモ、根室の白魚など季節に応じて徹底して吟味されている。
「仕事」ということばはプロ野球の選手が活躍したときに「いい仕事をしましたね」などと使われるようになったので、使い方が難しくなってしまったのだが、寿司職人の世界で「仕事」といえば、元の鮨種にさまざまな手を加えることを言う。
神代さんの「仕事」は、あくまで素材の良さを生かしながらも、独自の工夫をこらした一手間、二手間がかけられている。
ヅケ、5種もの酢を使い分けた酢締め、昆布締め、煮詰め、煮切り、湯切り等々。
さらに、たとえば白イカに少しのスダチと上質な岩塩を付けて旨味を引き立てたり、トコブシに刻み山葵を合わせたり、と感嘆はつきない。
ひとつずつ出される姿形は実に美しい。鮨は目でも楽しむものだ。
歩いてすぐの町内にこれほどの江戸前鮨の名店があることはとても幸せだ。
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※ヴィーナス・カフェ入り口のサンタ
弟と姪っ子が父の墓参りで鎌倉に来たので一緒に夕食。
久しぶりにヴィーナス・カフェ。彼らは5年もバンコクで暮らしていて夏に帰ってきたのでアジアン料理もたまにはいいか。
春巻きの盛り合わせ、トムヤンクンスープ・トマト風味、アジアンMixサラダ、鴨のパリパリ焼き、今日の魚料理(メダイの唐揚げ)、具沢山焼きビーフンなど、具の選択と味付けに工夫がこらされている。
東南アジアは食べ歩いている弟も満足。
圧巻は、本日のお勧めデザート・Chefの気まぐれ盛り合わせ。
ケーキ・デザートと縁の無い私にはよくわからないが、パンプリン、ガトーショコラ、チョコレートと苺のセミフレッド、などが私のふだんの1日分の食べ物以上に盛られている。
姪っ子も息を飲む。
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鎌倉で本格的なインド料理やカレーを食べたいと思ったらなんといっても「T-SIDE(ティーサイド)」ということになる。
バングラデッシュ出身のシャウンが鎌倉御成の横町にタンドール窯を据えインド料理の小さな店を開いたのは1994年だから、もう11年目のつきあいだ。店は評判良く順調に発展し、小町通りにずっと広いスペースを構えるようになった。私もロゴマークをデザインして祝した。
マドラス(南インド料理)出身のチーフコック・ビジャヤン、コルカタ(カルカッタ)からバングラデッシュに拡がる東インド・ベンガル料理コック、そしてモモなど独特の味わいを持つ北インド・ネパール料理コックを擁し、メニューは実に豊富。
きょうはマドラス風の辛いチキンブナとスパイシーなコーンクリームスープ、タンドール窯で香ばしく膨れあがったナン。
シャウンと、バングラデッシュ国土の2/3が被害にあった水害のこと、8/28の記事で書いた、アルカイーダとの関係を疑われ(というよりほとんど決めつけられた報道をされ)その後嫌疑は晴れたがすべての仕事と生活を破壊された在日バングラデッシュ人モハメド・ヒムさんのこと、この国では「外国人」がどんどん暮らしにくくなっていること(彼はダッカでの最高学府出身のインテリであり、日本人女性と結婚して2人の娘がいるという条件であるにもかかわらず)など話す。
シャウンの故郷から2Kmしか離れていないところから5日前に来日したバングラデッシュ人がツテを頼ってやってき、ベンガル語で話し込む。シャウンの意見は厳しい。技術や知識や日本語を知らずになんとかなると思って日本に来てもだめ、しばらくやってだめだと思ったら早く帰って必要な能力を磨くこと。
もう何年越しかで誘われているのだが、シャウンの1月の帰郷に同行してバングラデッシュに行ってみたい。
彼は、店の利益から、故郷の中学生35名分(!)の年間学費を寄付し続けている。
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2002年5月まで由比ヶ浜通りの現「パパ・ノエル」がある小さなところで営業。ハーブや香辛料の使い方が抜群だった。
2003年8月、長谷の裏路の民家を改装しリオープン。
大仏通りに並行するこの細い生活路は最近の「小路」ブームで観光コースにもなっているが、それでも表に看板が出ているわけでもなく、気づかない人も多い。
が、今ではすっかり「有名な隠れ家」という形容矛盾の存在になってしまった。
もうこれ以上混んで、散歩の途中でブランチにちょっと立ち寄ろうとしてもいっぱいだったり、土日に会食する予約が取れなかったりというのは個人的には困るのだが、好きな店が繁盛するのに水を差すわけにもいかない。
イタリアン。Nadiaはイタリアの有名な女性シェフの名であるらしい。
今時ほとんどいない眼に主張と力があるオーナーシェフの女性(原優子さん)とサーブの男性一人のみでやりくりする。
時に塩味が強すぎることがあるが、新鮮な素材に合わせて変化に富んだメニュー。
「気がついたら22席もあって、しまったと思った。店の隅から隅まで、きっちり百のことを百できる店でありたいんです」(『鎌倉、歩きたくなる小路』╱文・崎南海子 写真・中村冬夫╱集英社be文庫)。
内装、雰囲気、ロケーションとも鎌倉のイメージを裏切らない。
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鶴岡八幡宮の東、西御門跡碑そばの住宅地に昨年オープンした「0467」は、築80年ほどの平屋民家を改装したらしいのだが、立地条件もさることながら、カフェ&ダイニングバーという目的に対しての建築デザイン、インテリアデザインの面でまず実に素晴らしい。
「湘南スタイル・レストラン100」(枻出版社)によると敷地30坪弱、建物約16坪とある。これだけしかない面積で厨房も含め見事な空間が設計されている。
エントランスの風情、庭(ここも客席となる)との連携、天井と床の高低デザインや壁の素材の差が産み出す空間的拡がり感と豊かさ。カウンター席とテーブル席の使い分け等々。
酒の品揃えもなかなか。料理も季節の旬を重視していて、この晩は息子やその母親と秋刀魚のマリネ・季節野菜添え、本ワサビとシラスのピザ、和牛のたたきペッパーステーキグリル野菜添え、地魚どんぶりなど堪能する。最後に焼きおにぎりのダシ茶漬けというのも実に旨い。
「0467」は鎌倉の市外局番。
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30歳を過ぎたころから(1970年代の後半)、服(バッグ、傘、靴、財布等の小物も含め)はすべてラルフ・ローレンのデザイン・プロデュースするポロ(Polo)のものを買うようになった。だからもう「ポロ歴」4半世紀を超える。
別にいわゆるブランド志向ではない(そんなことばは無かった)。品質が良く永持ちしてリーズナブルな価格でデザインが気に入るものを探していてポロに出会い、私にはフィットし、それらとともに年を重ね、それ以外を探して歩く時間も志向もなかったということにすぎない。
「永持ち」ということでちょっといえば、26年前くらいに買ったクルミボタン付きポロの編み上げのベストはまだ現役だ。
15年前に鎌倉に越してきて、本格的なラルフ・ローレンの店「ポロ ラルフ・ローレン鎌倉」(鎌倉雪ノ下・若宮大路沿い)があってとても助かった。
写真右『時計じかけのオレンジ』(1971)のマルコム・マクダウェル似の喜内(きない)さん(メンズ担当)はそれ以来のアドバイザー、私のすべてのサイズとその変化、各種好みを熟知している。左の埋橋(うずはし)さんはホーム・ファーニシング担当、『蒲田行進曲』(1982)の頃の松坂慶子を彷彿させるすばらしい美人。
※ポロ ラルフ・ローレン鎌倉のX'マスパーティー(3階の「リストランテ ジョージ&レイ(George & Ray)」)にて
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鎌倉駅から江ノ電に乗り、稲村ヶ崎駅を過ぎるとしばらくして海沿いの国道134号と並行する。それまで家々の間にちらちら光っていた海が左手に一気に拡がる。観光客が歓声を上げる江ノ電の楽しみのひとつだ。
七里ガ浜駅で降りて少し進み線路(踏切ではない)を踏み越え、ちょっとまがりくねった階段を80段ほど上ったところに「Ristrante Amalfi Della Sera(アマルフィ デラセーラ)」がある。
鎌倉の飲食店としては、文句なく海の眺望No.1だ。テラス席が中心のピッツェリア。ちょうど下の134号線沿いにあるイタリアンレストラン「Amalfi(アマルフィ)」の支店として6年前に開店した。
人間の視野角はまっすぐ前を見たときおよそ180度あるが、このテラスからまっすぐ見ると、すべて海(相模湾)と空しか目に入ってこない。しかも浜辺で見ているのと違って高さがあるので海のボリュームがある。
顔を右に振れば江ノ島、左に振れば葉山から三浦半島の先の方まで視界に入る。
この写真は昼時だが、江ノ島の左手あたりに落日する、店名でもあるセーラ(イタリア語で夕焼け)時が一番お薦め。
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小学生の頃、かまぼこ工場を見学したことがあった。見なければよかった、と思った。よくわからない魚の身が次々に釜に放り込まれ、よくわからない粉だの薬のようなものだのが次々にぶちこまれ、そのプロセスの猥雑さと出来上がりの白さがそぐわなかった。
原材料表示だとか安全性とか添加物とかに問題意識が高まるはるか以前の1958年(昭和33年)ころの話だ。
以来「練りもの」に関しては基本的に不信の眼で見るようになってしまった。
もしこのころソーセージ工場を見学していたらソーセージを敬遠するようになったかもしれない(ついでながら、よく食べた「魚肉ソーセージ」というのは、戦後かまぼこの製造技術を応用して魚や鯨のすり身をピンクに着色し、畜肉の香りを人工的に付けるという本来の「ソーセージ」とは縁もゆかりもない「魚肉練り製品」だ)。
もちろん、ほんもので旨い蒲鉾や練り製品もあちこちにあったのだろう。
私は鎌倉の井上蒲鉾店のものを食べて、まあおおげさに言うなら練りものについてのトラウマを脱した。
井上蒲鉾店の「御蒲鉾」は関東、江戸時代からの蒸し蒲鉾。グチ(イシモチ)の上身のみを使っている。厚めに切り、山葵と生醤油で。
純正胡麻油での揚げ蒲鉾「小判揚げ」は暖めると風味が増す。
由比ガ浜通りに本店、鎌倉駅前若宮大路の角に販売店(ここは2階に茶寮もある)。
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犬を連れてちょっと立ち寄れる店は鎌倉にはいろいろある。
駅前まで行ったのでスターバックスに寄ろうかと思ったがテラス席はいっぱいだった。
そういえば、裏駅市役所前の漫画家・故横山隆一さん宅が更地になっていた(おとぎプロの白い建物はまだある)。工事予定によるとここもかなり広大なスターバックスになるらしい。
若宮大路の一の鳥居(大鳥居)から海方向へ100mくらいいったところの「Coo's Cafe」で遅いブランチ。
テラス席にはリードを繋ぐ金具があり、水も出してくれる。犬用クッキー¥100。
このあたりは舗道が十分広いので道行く人のじゃまにならない。
あまりねだるので、ポテトフライを一度口の中で油と塩分を取ってからやる。少しあげすぎたかもしれない。
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鎌倉大仏の裏手は両側が山となっていて長谷大谷戸(おおやと)と呼ばれる閑静な住宅街だ。30年ほど鎌倉裏駅近くで営業してきた和牛ステーキ・しゃぶしゃぶ専門店『毘沙門』が昨年1月からこの奥にある自宅を改装して夫婦でやっている。
普通の住宅だから知り合いの家を訪ねるように玄関でチャイムを鳴らし、靴を脱いでスリッパをはき、20名ほど席のあるリビングに通される。一角が仕切られて調理場にされており、ご主人が鉄板に向かう。谷戸の緑が庭になっている。
仕入れる牛肉は価格を一定に抑えるために相場によって替わる。米沢牛、仙台牛、熊本黒毛和牛など。
きょうのサーロインは宮崎黒毛和牛。上質の脂がしたたっている柔らかい切り身を、からし醤油かポン酢に付け、ご飯、味噌汁と和風に食する。
ところで、BSEを契機に昨年成立した「牛肉トレーサビリティ法(牛の個体識別のための情報管理および伝達に関する特別措置法)」は、まず生産〜屠畜段階で施行されていたが、今年の12月1日から流通〜販売段階にも施行される。
販売店はもちろんだが「特定料理提供業者」(焼肉・しゃぶしゃぶ・すき焼き・ステーキを扱う飲食店)にも適用される。
これらの店では店舗の見やすい場所に、その日提供している料理に使っている牛肉の個体識別番号またはロット番号を表示しなければならない。
牛の個体識別情報検索サービスサイトにアクセスして、たとえばご主人から教わった10桁の番号を入力してみると、この日食べたステーキ肉は平成14年3月12日生まれの黒毛和種の去勢雄、宮崎県児湯郡川南町の荒瀬義晴さんによって飼育されたもので、今年9月17日に都農町のミヤチク都農工場に搬入、同日屠畜されたものであることが分かる。
携帯にも対応するようになると、焼肉を食べながら客が個体識別番号を入力して確認するなどという光景がみられるようになるのかな。
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1987年頃か、まだ鎌倉に越してくる前、鎌倉を散策中にとても風情のある割烹を目にした。銭洗弁天に抜ける佐助隧道にわかれる路を右に行った扇ガ谷の山つきにある閑静な邸宅が並ぶ一角、もう一本北側からの路だと小さなトンネルを抜けたところだ。庭のたたずまいの素晴らしさが生け垣越しにもうかがえた。
御成の「さがみ包丁処 とり一」で「地鶏キジ焼重」(写真)を食べながら店主の川崎肇さんに昔の話を聞いていたら「静かな谷戸 雅な庭(味のかくれ里 割烹とり一」という往時のパンフレットを見せていただいた。表紙に写っているのはまさにその割烹だった。女優の林美智子、作家の永井路子などが賛辞を寄せている。
昭和とともにそこは閉じ、1989年(平成元年)御成通りに店を開く。元になった1948年(昭和23年)創業の鶏肉店「とり一」(藤沢の契約農家で飼っている平場飼いの地鶏を売る鎌倉でも有名な店、弟の息子さんが今は切り盛りする)は斜め向かいだ。
川崎肇さんは鎌倉飲食研究会の会長でもある。800年前、鎌倉の武家料理はどのようなものだったか、を文献にあたるのはもちろん考古学者、陶芸家などに相談し「北条弁当」というメニューで再現した。
当時は豆味噌や醤油がまだ無く、味付けせずに蒸したり焼いたりした食品に粗塩や梅酢、麦から作った穀醤などを付けて食べるのが一般的だったらしい。「口中調味」が基本のようだが、もちろん現代人向けに味付けもされている。
京の「雅」に対して、鎌倉は見てくれより食して滋養になる質や実を追求したという。
10月から3月までメニューに登場する「鳥ちゃんこ」は誰もが満足する。
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Coorsの巨大なボトルやネオン管、宣伝電光掲示板、埋め込まれたTV、プレート、「Movie Time Popcorn」と記されたポップコーンのミニ製造器(写真右)、よくわからないオブジェ、60〜70年代ロック、そして窓外に拡がる海。
由比ガ浜R134沿いのシードレスバー(Seedless Bar)は、カリフォルニア・スタイル・レストランとも看板に書いてあるが、たしかに私が行ったことがあるカリフォルニアのサン・ディエゴからロサンゼルス、サンタ・バーバラにかけて、あるいはモンテレーからサンタ・クルーズあたりの海沿いルートにありそうなカジュアルなレストラン・バーだ。
写真はカウンターだが、海に面してカップルシートや5〜6人掛けの席もいろいろ配されてある。この夏には拡張して戸外のテラス席も作られた。ピザ、タコス等料理も旨い。
朝4時までやっているので夜中に仕事をしている私にも都合がいい。
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Rの付く月は牡蠣が旨い、ということですぐ近くのオイスターバー「ココモ(Cocomo)」へ。牡蠣だけではなく、シーフード、イタリアンテイストのピザや肉料理類等揃っている。
各産地への入手ルートを確保しているので、さまざまなものが味わえる。
宮城女川産の大きくて甘いもの、釧路仙凰路産の濃厚な味、流氷の下で育つ厚岸産丸牡蠣のぷりぷりさ、小粒だが実にクリーミーで文字通り牡蠣の別名「海のミルク」そのもののシアトル・トッテン湾産クマモト。シャブリがすすむ。
この店では実は春〜夏でも牡蠣が楽しめる。南半球は冬であり牡蠣の旬なのだ。南オーストラリア・タスマニア諸島産、ニュージーランド・キリタベイ産。また夏に美味なイワガキなど。
私の記事によく登場するカフェ・バー「麻心(まごころ)」「Daisy's Cafe(デイジーズカフェ)」と3軒並んで由比ガ浜沿いにある。
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老母の80歳誕生日を「凜林(りんりん)」で祝った。
凜林は歩いていてふと目に留まり入ってみるというような場所にある店ではない。
鶴岡八幡宮から金沢街道・岐れ道を左に鎌倉宮に至り、右側から瑞泉寺への狭い道をずっとたどる。
二階堂の深い谷戸(やと)に1327年創建された瑞泉寺は臨済宗の禅寺だ。鎌倉らしい静謐と四季折々の花や銘木などの魅力で人の訪れも多い。本堂裏の錦屏山(きんぺいさん)前の庭園は発掘復元されたもの。高名な禅僧夢窓疎石(1275—1351)によるもので「書院庭園」の起源と呼ばれる。鎌倉で現存する鎌倉期唯一の庭園だ。
参道のずっと手前に総門があり、右側を迂回して通る。参道に向かわず右に入る。この先は鎌倉の北側を囲む山並みを歩ける天園ハイキングコースへの入り口になっている。が、こちらにも行かずすぐ左に折れた突き当たり、もうこの先は山だ。
オーナーシェフはりんくんび(林訓美)さん。りんさんの祖父が大正末期に福建から日本に渡り、父母がそれを頼って横浜で料理店を開き、戦後すぐの1946年りんさんが生まれた。30歳くらいになって料理に目覚めたりんさんは修行をつんだ後、上野不忍池近くに福建料理店「龍虎殿」を開き有名になる。昨2003年3月、この店を息子さんにまかせ、鎌倉二階堂の山懐の一軒家を改造して凜林を開いた。
北の上海料理、南の広東料理にはさまれた位置にある福建料理は新鮮な魚貝にめぐまれ、淡泊で細やかな風味と彩りに特徴があるが、りんさんの料理には代々の福建の伝統に加えて洗練された品がある。
まだ1年半だが、一度訪れここの料理を体験した人の評判は高く、口コミでも拡がる。
円卓を備えた2つの和室とテーブル席の2つの個室がある。
母は脚が悪いのでテーブル席の10畳ほどの個室を使わせてもらう。
料理は晩コースのうち「福」。人参の香の物が福の文字に刻まれて母に供される。
「前菜」は松茸の煮こごり、くらげ酢、蒸し鶏、小海老の塩ゆで。どれも味があっさりしていながら奥深い。聞くと、たとえば小海老もたんに塩ゆでしてあるのではなく、さらに山椒やネギなどのスープに付けたりしているのだそうだ。
食べ終わるまで冷めることのなかった「変わり鳥団子と冬瓜の壺蒸スープ」も実に滋味。
「大海老の甘酢唐辛子炒め」はエリンギなどの茸や各種野菜もたっぷり入っている。
「鴨ロース入り春巻き揚げ」と付け合わせてある野菜の天ぷらがふっくらしながらさくっとして脂ぎらず美味。衣もずいぶんと工夫が入っているだろう(りんさんは店で料理教室もやっているので参加すればこれらの技も教えてくれるだろう)。
瓶入り紹興酒の2本目を頼むと酒器が「対」になった。
それぞれ、「對」「酒」と表に掘られ、背面には「人生幾何」「對酒當歌」とある。
「マナガツオのチリソース煮」には少量だが白飯が付いていて一緒に食べると旨さが引き立つ。
「烏龍茶涼麺ゴマダレかけ」は水の代わりに烏龍茶を練り込んで打ったさっぱりした麺。前菜の蒸し鶏にもかけてあったゴマダレが良く合う。
デザートは「凜林杏仁豆腐」。ミルク味がたっぷり。
もともと胃にもたれないような料理の数々だが、食後の茉莉茶も口喉と胃にさわやかだ。
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若い頃、沖縄で3年間暮らした。米軍統治下から1972年の「日本への返還」の時期だ。
極貧だったが泡盛は常に飲んでいた。ビールの小瓶につめた瑞泉(ずいせん=泡盛の代表的銘柄)が15セント(当時は1ドル360円だから約54円)だった。これを買うか同じ値段の丼一杯の「ゆし豆腐」(豆腐を固める前のほとんど液状のもの)で腹を満たすかよく迷ったものだ。
「花いちぜん」は鎌倉大船にある沖縄料理とライブの店。最近、那覇に「BakuSun」という姉妹店を出した。
泡盛の品揃えが素晴らしい。沖縄本島、宮古島、石垣島等の八重山諸島の48酒造所から1品ずつ48種類を揃えている。
ある晩「古酒」のみのメニューがあったので、上から順番に全11種をストレートですべて飲んでみた。マスターがこんな人は初めてですと驚いていた。
いろいろなライブイベントをやっている。
今晩は私の友人、一人芝居の高山広の何回目かのライブ。
写真左は「スクガラス」(沖縄豆腐の上に「あいご」の稚魚を載せたもの)、右は「とうふよう」(豆腐を泡盛と紅麹で熟成させたチーズのようなもの)。これだけあればいくらでも酒はすすむ。
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私の誕生日祝いを長谷駅近くの「ワタベ」でやった。昨年(2003年)11月にオープンしたばかりなのでまだ1年もたっていないが、すでに人気は高い。
ロケーションがまずいい。長谷の江ノ電沿いの道を少し歩き、その後「線路を渡る」のだ。踏切などではない。石砂利を踏み、意外と高さがあるレールを踏み越える。江ノ電沿いには線路からしか入れない家がたくさんあるがここもそうだ。そこに立派な門構えと門前にもたっぷり空間を活かしたお屋敷がある。1941年(昭和16年)築の日本家屋を改装し、敷地の7割はぜいたくに庭にしつらえている。
庭に向かって開放的なテーブル席の間と庭につながる小間を備えた10畳ほどの個室がある。きょうは4名で個室。靴のままなのだが、障子やふすま、床の間と庭の見える空間でなにか古き良き時代に裕福な友人宅に招かれたような気分になれる。
門前をときどき江ノ電がことこと走る。
調度、照明、飾り付けもじゅうぶんに気配りされているし、サーブする女性もどの人も感じいい。
料理自体は正統的なフレンチなのだが、形式張っておらず、ソースも主張しすぎず、どの皿もボリュームがあるので、身構えずに楽しめるフレンドリー古典フレンチとでも呼びたい感じだ。
米・麦・芋のかなりめずらしい焼酎も置いてあるが、やはりコート・ド・ローニュの赤。
コースももちろんあるが、今晩はアラカルトで。
前菜が実に豊富だ。パブリカ入りのポタージュは冷たく滋味、季節野菜のギリシャ風マリネ帆立貝柱添え、ズワイ蟹の春巻き、本日の鮮魚(カンパチのりっぱな切り身)のカルパッチョ、温野菜とポルチーニ茸の軽い煮込み、フォアグラ(ほんの少し堅い外側の焼け具合と中のとろとろ感が絶妙)のピアレとパルメザンリゾットなどでもうかなり腹も足りる。メインに頼んだのは和牛ハラミステーキ、和牛ハンバーグ、鯛のポアレ。ハラミは適度に赤味が残されたいい焼き具合、ハンバーグは肉の良質さが違う。鯛は皮は香ばしく身の旨みが逃げていない。
各種のパン、デザート、コーヒーなども含めてこれで¥21,000は実にリーズナブル。
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鎌倉でラーメンというと、小町通りの「ひら乃」、駅前東急向かいの「ひなどり」、裏駅側御成町の「静雨庵」などがあげられるが、どれも私には合わない。
私が一番好きなのは、若宮通りと小町通りを結ぶ小道にある「鎌倉赤坂飯店」のラーメンだ。
店名はたいそうだが、カウンター5席とテーブル2つだけ、家族経営の小さく安普請の店だ。
勝手を知らない初めての客が注文しようとすると、待ってくださいよ順番に聞きますから、とおやじさんのやや無愛想な声が返ってきて首をすくめる。メニューには番号が振ってあり注文は番号でする。品名を言っても番号で確認される。ラーメンと餃子だけは名前でもいい。
おかみさんは配膳したり餃子を焼いたりし、おやじさんは具やチャーハンを炒め、息子さんが麺をゆで盛りつける。3人は無駄口をいっさいしないのみならず、業務連絡の類のやりとりもない。にもかかわらず、客の入ってきた順番の確認から、ワンクールの制作範囲、業務進行分担、洗浄、精算にいたるまでまったく滞りなくとりおこなわれるのだ。
「阿吽(あうん)の呼吸」のサンプルを見たかったらこの店に行けばいい。
ラーメンのダシは鶏と豚ガラベース。麺は太からず細からずでやや縮れている。ただし最近はどこでもやっているような一人分の容器などは使わず巨大な金ボールにたっぷりの湯でゆでる。
チャーシュー、シナチク、ほうれん草(季節によってさやえんどうやいんげんになることもある)きざみネギだけのシンプルなものだが私にはとても旨く飽きない。以前小町に住んでいた頃は少なくとも週2回は行っていた。
若い人には骨付き豚肉がのった「扖骨(パイコー)麺」がお薦め。
12時から開くが3時ちょっと過ぎには閉まる。ふだんからそうだが土日は確実に行列ができる。ちなみにこの店には今も電話は無い。
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「カロ」のビーフシチューのような料理はまず家庭では作れない(もちろん缶詰を買ってくれば少しは似たようなものができるかもしれないが)。デミグラスソースは牛すじや野菜などを炒めては煮を繰り返す。この間漉したり寝かせたりも繰り返す。この店のソースはできあがるまでになんと2週間も手間をかけているのだ。
シチューに入れる牛のバラ肉もオーブンで4時間も煮込んであるため、脂肪が落ち口のなかでとろけるように柔らかい。仕上げにかけられる生クリームと芳醇なソースが溶け合い、ご飯とも相性がいい。
1979年(昭和54年)の開店以来25年間この作り方と味を守っている。
北鎌倉山ノ内にこれもビーフシチューが旨い「去来庵」があるが、同じ年にオープンしているのもおもしろい。
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由比ガ浜通り、六地蔵の斜め向かいに昼間見ると一見廃墟かと思われるような古い建物がある。扉も重々しい。しかし夕闇が迫ると、入り口の上からは酒林(杉玉=もともと日本酒蔵元が新酒ができたことを報せるもの)がつるされ、開業時間を示す小さな立て札がおかれ、暖かい光と音楽が中から漏れ出す。
石造り2階建ての間口の狭いこの建物は1927年(昭和2年)、旧鎌倉銀行の由比ガ浜出張所として建てられた。その4年前の関東大震災で鎌倉の建物の大部分は倒壊、津波、火事の被害を受けた。震災後の鎌倉の復興は、それまでの海浜保養地、財界・政界人の別荘地から定住する住宅地への変化をもたらした。銀行業務の需要も増大したのだろう。「復刻古地図・昭和2年鎌倉」(人文社刊)にもこの建物が載っている。終戦直前の45年(昭和20年)2月まで使われた。今でも入り口の上には「由比个濱出張所」と右から左に刻まれている。戦後、小児科医がここで開業し、その後画廊や雑貨店になったが、2000年4月にバーとなった。
店の名は銀行にちなんで「THE BANK」。
カウンター2連(ひとつは銀行のカウンターとして使われていた大理石のもの)と3名分ほどの椅子席をあわせても16名くらいでいっぱいだが天井がすばらしく高いため閉塞感は無い。
壁の天使のレリーフや、扉、ガラスなど建築当時のものもそのまま残されている。
マスターは都内のいくつもの一流ホテルで修行しただけあって、サーブ・サービスも大人のバーにふさわしく洗練されている。
シングルモルトウイスキーの品揃えはなかなかだ。私の好きなアイラ(ISLAY)も揃えている。2階のキッチンで作るつまみも充実している。定番のオリジナルメンチカツバーガー(パンも自家製・BBと焼き印される)や朝摘み鎌倉野菜の盛り合わせなどのほか仕入れに合わせて調理を工夫する。
夜中の1時までやっているのだが、大学があるときは私はここをちょうど1時頃通るので一杯やれないのが悔しい。
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食欲不振のときは、スパイスの効いたものに頼る。
新橋烏森口から5分ほどのところで20年以上開業している「スパイスハウス・ぺぺ(PePe)」が鎌倉にも店を出している。御成通りの由比ガ浜通りへの出口近く、昔からの紙・おもちゃの店「くろぬま」角を右に曲がる。以前は殿山泰司さんの奥さんがおでんやをやっていたところだ。瀟洒なオープンスタイルの洋館だが、2階には本格的なバーカウンターがあり、SCAPAなどなかなか飲めないものも並んでいる。
世界のスパイス料理を取り揃えているので、冷製・温製・スパイスカレー・ケサディーヤなど18ものジャンルに分けられ、さらに料理名が並ぶ。
写真はスペイン風「カボナータ」(緑黄色野菜をオリーブオイルとガーリックで炒め蒸したもの。フランスでは「ラタトゥイーユ」)。
若鶏を16種類のスパイスで味・香り付けした「チキンマサラ」もギネスに実に合う。
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夜中に坂ノ下の「ヴィーナスカフェ(Venus Cafe)」に行く。
鎌倉の「ヴィーナス」はいろいろな歴史的経緯があるようだが私はよく知らない。
「ビーナスカフェ(Venus Cafe)」は2003年4月に新しくオープンした。内装は古民家で使われていた材をふんだんに使い、テーブル席、中2階、テラス席など立体的な変化に富んでおもしろい。
熱帯性の観葉植物、アジアン・フレンチな料理(フレンチ出身のシェフの作るものはしっかりしている)なども含めて、雰囲気は『エマニュエル夫人』(古いか)あたりに出てきそうなアジアン・コロニアル風。
ベトナムのフォーやベトナムコーヒー、台湾茶、中国茶なども飲める。
魚は目の前の海で穫れるもの。坂ノ下の網元と契約し、水揚げのものに合わせて「本日のお薦め」が調理される。
きょうは「バナナの葉で薬味と一緒に包み上げたかんぱちの姿焼き」「地ダコのチリ&ガーリックバターオーブン焼き」などがある。
写真は「ソウダガツオの自家製薫製サラダ仕立て」。水菜、大葉、香菜、オリーブなどと薫製がほどよく合う。
天井はあるが海に向かって開放されたテラス席の夜中の海風が気持ちいい。
灯りは由比ガ浜から材木座にかけてのもの。
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19年前(1985年)に、元寿司職人・板前が由比ガ浜通り、鎌倉文学館前に小さな店を開いた。いわし料理専門店「はま善」だ。
いわしは鎌倉近辺でもたくさん穫れる。鎌倉坂ノ下(由比ガ浜の西隣り)の漁師が彼に薦めた。これだけ穫れても使い道がない。いわし料理の店をやったらどうか。
彼は漁師やそのかみさんたちにとれたてのイワシの旨い料理法をいろいろ学び独自の工夫を重ねた。
今では定番だけで15種類ある「はま善」のいわし料理は、したがって料亭や小料理屋の技ではなく、漁師・漁村の知恵が元になっている。
ちなみに定番は、つくね焼き、刺身、南蛮漬け、つみれ汁、たつた揚げ、塩焼き、お好み焼き風、梅たたき、ユッケ、山家焼き、なめろう、チーズ焼き、にんにくバター、蒲焼き丼、スタミナいわし(この他に裏メニューもある)。
小坪を中心に腰越や、いいものを求めて時に三浦半島の佐島、長井まで足を延ばす。
もちろん、いわしだけではない。
たとえば今日は「とろかつを」「鎌倉伊勢エビ」「あわび」「エボダイ」などがある。
写真は左から、シコイワシ(カタクチイワシの子ども)の沖漬け、サザエの刺身、かつを茶漬け。
埼玉の「神亀」、山廃仕込み「菊姫」、盛岡の絞りたて「亀ノ尾」とともに味わう。
沖漬けは「はま善」特製のタレにつけたもので実に柔らかい。サザエの刺身は口に入れると磯の香りが拡がり、コリコリとした食感が壺焼きとはまったく違う。元が板前だから包丁さばきも盛りつけも美しい。肝はこれとは別に壺焼きにしてくれる。とろかつをの分厚い切り身が入った茶漬けで締め。
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鎌倉でそば処というと、雪の下の「鎌倉一茶庵」「たけや支店」、大町の「竹之家」、扇ガ谷の「そば処五島」、小町の「なかむら庵」といったところか。そばもラーメンと同じく人によって好みが違うのでどこが一番というようなことはいえない。
段葛の東側にある「段葛こ寿々」(だんかづら・こすず)も名物「わらび餅」とともにそばも旨い。
昭和初期の一軒家の茶道具屋を改装してあるので、開業してまだ8年ほどとは思えない雰囲気を出している。
辛味おろしそばも好きなのだが、きょうは「こ寿々そば」。
そばは国産玄そばを自家製粉して手打ちしている。三つ葉のきざみ、大葉、上質の天かす、海苔、大根おろし、ゆずがそばに盛られていて、これにつゆをかけて食べる。
「わらび餅」もとても評判がいい。沖縄黒糖から自家で作る黒蜜ときな粉を付けて食べると本わらび粉ならではのぷりぷりした弾力感が味わえる(これは箱詰めでも売っている)。
由比ガ浜通りにも甘味処「由比ガ浜こ寿々」がある。私は甘いものはだめなので行ったことはない。
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老母を連れて腰越(こしごえ)の満福寺に墓参りに行く。母は杖をついて脚をかばいながらなので普通の人の五分の一くらいの早さでしか歩けない。墓は階段の上にあるのだが、幸い最近昇降機が取り付けてある。
満福寺には義経の「腰越状」と伝えられるものがある。
鎌倉時代の公的記録である『吾妻鏡』に全文が載っている。真偽は定かでない。
宇治川、一ノ谷、屋島、壇ノ浦と平家との戦いで圧倒的な勝利を収めて鎌倉に凱旋しようとした義経は頼朝に鎌倉入りを拒まれる。鎌倉殿に断り無く官位(検非違使尉=判官)の授与を受けたこと、頼朝の目付役梶原景時の義経専横慢心の訴え、平家滅亡ののち頼朝に唯一従わない平泉の藤原秀衡を義経がパトロンとしていることなどが因とされる。
1185年5月、この腰越で義経は、自己の功績と頼朝への忠誠を切々と(というかくどくどと)書き連ね(弁慶に書かせたともいう)提出するが容れられない。追放となり刺者も差し向けられる。京に戻った義経は叛旗を上げる。しかしもともと奇襲ゲリラの軍事戦に長けてはいても「郎党」を持たず、組織や政治にはまったく疎い個人プレイヤーであった義経のもとに馳せ参ずる者はほとんどいない。頼朝はここぞとつけ込む。京に大軍を派遣し、義経を頼朝への牽制に利用した後白河法皇たちを脅しあげ、朝廷に対する武家のヘゲモニーを一気に握っていく。
義経が衣川館で自害して果てるまであと4年、頼朝の鎌倉幕府開設まで7年だった(NHK「その時歴史が動いた」風)。
鎌倉は海に面しているが、東から材木座、由比ガ浜、七里ヶ浜とずっと砂浜で港にできるところがない。由比ガ浜は遠浅で波風が高く難破する舟が多かったので、北条泰時の時代には飯島崎の海上に石を積み築港した(現在「和賀江島」として跡が残っている)。
唯一、鎌倉の西端の腰越(鎌倉時代、京ー鎌倉往還の最初の宿駅がおかれた)は、不動岬(こゆるぎさき)から江ノ島にかけての腰越ノ浦が漁港となっている。
鎌倉で地場の魚といえばこの腰越と小坪(逗子)で揚がるものだ。
腰越には地場の魚料理の旨い店がいくつかある。
フレンチ風に料理するレストラン「鱗亭(りんてい)」、古くからの網元が経営する「しらすや」、創業100年の食堂「かきや」、ちょっと中に入るが「貝魚亭」など。
「しらすや」は満員だったので「かきや」の開店を待つ。江ノ電が唯一路面を走る腰越ー江ノ島間の道路沿いだ。
母は「しらすかき揚げ天そば」私は「しらす三昧(静御前)」を頼む。
しらすのかき揚げはさくっと揚がっていて美味。釜上げしらす(沸騰した湯にくぐらせた後空気にさらすのでいわゆるシラス干しとは違う柔らかな食味となる)がふんだんに載ったそば、ショウガ醤油で食べる生しらす(海からあげた時点で冷水と塩で身をしめる)。生しらすは鮮度が命なのであまり流通はしない。生きてはいないが噛むと口の中ではねるようだ。
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きのうあまり食べなかったので、きょうの遅いブランチは家のそばのドイツ家庭料理の店「シー・キャッスル(Sea Catsle)」で、スモークローストポーク。
ベルリン出身のドイツ人夫婦が1957年(昭和32年)に開業した、鎌倉のレストランでも老舗だ。以来「ドイツ人の作るドイツ料理」をサーブしつづけている。
ドイツの街道沿いのレストランといった感じの内装。窓の外はすぐ由比ガ浜。きょうは適度の波のようだ。
本場黒ビール「ケストリッツァー・シュベルツビアー」(旧東ドイツの名門醸造所産)とともに、ポーク、ポテト、ザウアークラウト、黒パンをゆっくり味わう。
開業の頃はどうだったか、と聞くと、その頃の人々はみな明かるかった、今はカップルでも表情が暗い、とマダムは言う。
なぜ日本に来たのかと尋ねると、どうしてそんなことを聞くのだ、と聞き返される。単に好奇心だと言うと「Curiosity killed the cat(好奇心はネコをも殺した。せんさく好きは身を滅ぼす)」とかわされる。
まあいずれ”Long Story”を聞くこともできるだろう。
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ミックにワクチンを打ってもらうために由比ガ浜を歩いていたら、老夫婦にこのへんでシラス料理のおいしいところをご存知でしょうかと聞かれたので、腰越にはもちろんありますがこの辺だったら「サンマリオ」がいいでしょうと答えた。
で、自分も食べたくなって後で「サンマリオHOTTA」に行く。
ハワイアン風というのか、気の置けないレストランだ。
夜も地元の人でにぎわう。
「江ノ島沖シラスのピラフ」を食べる。
他に「釜揚げシラスのサラダ」やスパゲッティなどオリジナルな料理が豊富。
テニス帰りの奥様たち6名が隣に来る。
各人がそれぞれ他の人へしゃべりかけたり、個人的な感想を述べたりというのが瞬時の合間無く続くので、横で聞いていると6名なのに少なくとも10名はいるような感じだ。
コーヒーをゆっくり飲もうと思っていたがやめて出る。
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ろくに雨が降らないうちに、関東地方も梅雨明けしたという。きょうは35度くらいになっている。
暑いときに限らずもともと少食だが、そうめんだけはいつでも食べられる。
ラ・ジュルネは、由比ガ浜通りから細道をちょっと入ったところにあるので、あまり観光客は来ないが、地元の人で夜中までにぎわう。
テラス席は犬OKなので、犬を通したコミュニティの場でもある。
「とろとろ野菜の梅そうめん」を頼んだ。
そうめんと侮ってはいけない。ボリュームと栄養はたっぷりだ。
大きなコーンフリーの葉とつるむささきの天ぷらが載り、おくらとモロヘイヤのとろみがそうめんにからまっている。半熟たまご、白ごま、刻み海苔、そして梅たたき。
すべて取れたて鎌倉野菜を使っている。
そうめんは日本の夏の伝統の風情、などと言いたがる人がいるだろうが、これも元をたどれば「中国」から伝来したものだ。奈良時代ころと推測されている。
もともと「索麺(さくめん)」だったが字を崩して「素麺」と誤記され、その漢字をもとに「そうめん」と呼ばれるようになった。
日本農林規格(JAS)で、直径1mm以下と定められている。
ちなみに「冷や麦」(こちらは室町末期ころから造られたようだ)の規格はもっと複雑で、角棒状のものでは幅1.2ミリ以上1.7ミリ未満、厚さ1.0ミリ以上1.3ミリ未満のもの、丸棒状のものでは直径が1.3ミリ以上1.7ミリ未満のもので、小麦粉を原料とする、とある。
何を根拠に、なんのためにこんなことを「定めている」のかはよく分からない。
とにかく「区別」「分類」し手分けして「管理」するお役人の都合だろう。
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江ノ電長谷駅すぐそばのスペイン料理店「パラドール・デ・かまくら」に寄り、由比ガ浜で採れたシラス入りスパゲッティで昼食。
96年開業のときから行っている。まだ息子は9歳だった。
その頃は閑静だったが、今はどのガイドブックも取り上げるので店は混んでいる。
スペインには残念ながら行ったことがない。
アルタミラの洞窟壁画の時代から、古代ローマ帝国の支配、西ゴート王国を経て、イスラムの統治、レコンキスタとハプスブルク・ブルボン朝、共和制からスペイン内戦、フランコ独裁と死を経てEC加盟へ、と、「万世一系」などと称する島国とは比べものにならない錯綜した歴史が織りなす文化はとても魅力的だ。
この店の名である「パラドール(Parador)」というのは、中世の古城、貴族・領主の館、修道院などをスペイン国営のホテルとして開放・運営しているところのことで全土に80数カ所ある。
この店のご主人、上野健太郎さんは1986年から8年間、経済誌の駐在員としてマドリードに住んだ。
この間、上野さんは竹山裕子さん(竹山さんは各地のスペイン郷土料理を学んだ)とともに、それらのパラドールすべてを泊まり歩いた。
その経験をまとめたものが「スペインパラドール紀行」(日本交通公社)だ。
どこもとても泊りたいが、16世紀の大学のレストランなどというのはぜひ行ってみたい(私の勤務する大学のプアな学食と比較してみたい)。
もう1冊、上野さんが著した「スペインハプスブルク・カルロス五世の旅」(JTB)は、16世紀前半、スペインが世界帝国として最盛期を誇った時代の神聖ローマ帝国皇帝の足跡(彼は人生の1/4を旅に費やしたといわれる)をたどり、史跡を捜し、郷土史を読み、伝承を聞き取り、研究者を訪ねた紀行書だ。
一方、彼の治世下、コルテスが現メキシコを征服してアステカ文化を滅ぼし、ピサロが現ペルーを支配下に置きインカ文化を壊滅させた。
「インディアスの破壊についての簡潔な報告」(ラス・カサス/岩波文庫)を読み直したくなったが引越後ちゃんと整理していない本棚に見あたらない。
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突然きしめんが食べたくなり、長谷大仏通りの「むつ富」へ行く。きょうは「地鶏せいろ」。
50年前、新宿ステーションビルに日本そば屋を出店しようとしたら、既に同業がいて受け付けられなかったところ、ちょうど名古屋大須の老舗きしめん屋が後継者がおらず、伝統の製法・仕入れ・職人ごと売り出していたのを受けて創業したのが始まりという。以来吉祥寺を経て6年前に長谷に移転。
良質の小麦粉、いっさい無添加、名古屋コーチンは出汁にはいいが肉がやや固いので使わず、那須と宮城の地鶏を仕入れる。醤油も小さいところだが200年来製法を守っている信頼できるところのもの。
淡泊なきしめんの喉越しと、だし汁のきいた柔らかな地鶏の味わいの濃厚さがいいバランスになっている。
食べ終わって、残りの付け汁に湯を入れてもらい飲むと旨い。
最近は、讃岐うどんに押されて名古屋でもきしめん専門店が少なくなっているという。
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長谷観音前の信号のそばに昨年5月オープンした「Kanon Concert Gallery(カノンコンサートギャラリー)に行く。
即興ピアニスト、ミエコ・カノンさんがご主人とやっている。
関東大震災の翌年1924年(大正13年)に建てられた民家を改築し、1階がギャラリー、木の急な階段を上った2階がカフェになっている。
長谷観音の参道が見渡せるテラス席で「カノン鶏飯コース」を食べる。
これはミエコさんのお祖母さんの出身地・奄美大島でもてなしの席などで供されるという。遠く鎌倉の地で郷土の食文化がこのような形で受け継がれるというのはとても好ましいことだと思う。
「かまくら楽食日記」でお馴染みの井上智陽さん(大町在住)の楽しい解説付きイラストがメニューになっている。たぶん「楽食日記」の続編(今その2まで出ている)に載るだろう。
食前酒は奄美の邯鄲(カンタン)ワイン。
具は、比内鶏の胸肉、フキとキクラゲの佃煮、奈良漬け、錦子卵、パパイヤの味噌漬け、胡瓜、海苔、紅生姜。
じっくり時間をかけて鶏ガラを煮出し、塩、昆布、鰹節で整えた澄んだスープが右のポットに入っている。
どうするかというと、ご飯の上に具を載せ、たっぷりと熱々のスープをかけて食べるのだ。
旨いものを食べたときのTVのコメンテーターの表現力の無さを日頃嗤っているが、自分も同じ状態になる。
「幸せになる滋味」とでも言おうか。
ミエコさんがピアノの調べを聴かせながら黒糖を使って煮た大粒の紫花豆「カノン祈り豆」もありがたく頂戴するという気持ちになる。もちろんおいしい。
食後に出される冷たいハイビスカスティーが口中の脂を洗ってくれて爽やかだ。
店内には、私も実際に絵を描くところを拝見したことがある、乾敏夫さんの流鏑馬の絵(昨秋来られて描かれたそうだ)や藤沢在住の万華鏡作家・田村慎一さんのさまざまな万華鏡(コンピュータ・グラフィックスなど目じゃないぞ)なども置いてあって楽しめる。
テーブルの真ん中は吹き抜けにしてあって、時折下でミエコさんが奏でるオールドヤマハのピアノの即興が2階にも拡がるのだ。
【追記】
カノン・コンサート・ギャラリーは、残念ながら2004年11月で閉じられました。
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鎌倉は店の閉まるのが早く、以前住んでいた小町や駅の周辺では、笑笑とやるき茶屋ぐらいで行く気にもならなかったが、この長谷、由比ガ浜周辺はいろいろ開いていて夜型人間の私には都合がいい。
由比ガ浜海岸べり「麻心」の隣にある「Daisy's Cafe(デイジーズカフェ)」もそのひとつで朝5時までやっている。
夜中に空腹だったので訪れる。
50年代アメリカ風の小物(ダーツ、古ラジオ、椅子等)がさりげなくかつ雑然と置かれたなごめる空間。
そしてなによりの特長は、店の真ん中に大きなバーニーマウンテンドッグの「デュカ(Duca)」が鎮座しているのだ。
今2歳で40Kgもあるが、まだ大きくなるらしい。
バーニーマウンテンドッグは、2000年以上前に古代ローマ軍によってスイスにもたらされた軍用犬の子孫と考えられているという。その後スイスの山間部(主としてベルン)で牧畜犬として定着し、後に荷車を引くようにもなった。
デュカも私より力は強そうだ。
ベルン以外には知られず19世紀には絶滅しそうになったが1892年ころから繁殖がはかられ、他の地にも広まった。
鎌倉には犬連れで入れる店が多いが、ここもそのひとつ。
今ブリーダーの元で成育中のビーグル(ミックと名付けた)が手元に来て散歩できるようになったらぜひ連れてこよう。
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ちょっとした専門店に行けば今はいろいろな種類のパンが置いてあるが、チャールズ&レイ・イームズの映像作品「Bread」を見るとパンという食文化は日本人が持っているイメージよりもっとずっと多様なものであることが分かる。
なにしろメソポタミアで小麦を粗粒にして焼いたのは紀元前7000年に遡るのだ。それがローマ帝国を経て、ヨーロッパ各地、そしてアメリカに拡がった。さまざまな違いが発生するのは当然だ。
パンはまた食料一般、生活の糧を象徴するものでもあり、色々な宗教とも結びついている。
敗戦後、日本人を「米と魚から解放するには良いパンを給することである」という米進駐軍の方針で、「コッペパン」その他のアメリカパンが普及したが、1964年の東京オリンピックに向けてパン職人が世界にちらばり、いろいろ学んで、日本の製パンにもバラエティが出てきたようだ。
調べるときりがないのだが、さしあたって今日の私のブランチは、ドイツパン。
鎌倉長谷のBergfeld(ベルグフェルド)。
パンやクッキーだけを買うこともできるし、店内でも食べられる。
胚芽パン(ライトグラハム)にシーチキンとトマト、ライ麦パンにボロナソーセージ、ソフトロールにウインナソーセージの3種のオープンサンド盛り合わせ。ドイツビール(Henninger)と相性がいい。パンは噛みしめると味わいがある。
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前の日、よくあることだが1食しかしなかったので、今日は由比ガ浜通りの「つるや」で鰻重を食べる。
できあがるまでに40〜50分はかかるので、電話しておいて頃合いを見て行く。
なぜこんなに時間がかかるかというと、浜名湖から仕入れ、井戸水の中に一週間ほど放して、余分な脂や泥臭さを落とし身が締まった鰻を、注文を受けてから取り出してさばき、焼き、蒸し、1929年(昭和4年)の創業以来少しずつ付け足して使い続けているタレに三回は付けて馴染ませ、備長炭でじっくり焼き上げるという工程を律儀に守っているからだ。
鰻の脂と辛口のタレがほどよく焼けた香ばしさと身の実にほっくりした食感は他の店ではまず味わえない。私にとって鰻といえばこの店だ。
どのガイドブックにも載っているが、川端康成をはじめとする「鎌倉文士」たちや、往年の大女優・田中絹代がひいきにしていたという。
田中絹代(1909-1977)といっても今の若い人はほとんど知らないだろう。
1924年(大正13年)14歳のときが映画デビューだから、私にしても同時代の俳優として知っているわけではない。
溝口健二「西鶴一代女」「雨月物語」、木下恵介「楢山節考」、小津安二郎「彼岸花」、市川昆「おとうと」などの田中絹代は、学生時代以降、日本映画の歴史を意識的に観直しはじめてから「発見」したようなものだ。
かろうじて死の3年前の熊井啓「サンダカン八番娼館・望郷」(1974・当時64歳)は封切りで観て、老婆役を演じきった凄みに感嘆した覚えがある。
新藤兼人「小説田中絹代」(今手元にないので正確は期せないが)によると、彼女は毎週月曜日に「つるや」を訪れて鰻重を食べ、女主人とひととき話していく、というのが決まりだったそうだ。1977年、ガンで亡くなる1週間前に入院先の目黒の病院から婦長と一緒にタクシーで食べに来た、という話も「ぶらり鎌倉—ちょっといい味いい話」(藤井宗哲/みずうみ書房)に伝聞として出ている。
つるや創業の1929年(昭和4年)が、田中絹代(当時19歳)にとって新進気鋭の小津安二郎「大学は出たけれど」での主演を果たし、人気スターの座を得た年であることも、彼女にとって意味があることだったかもしれない。
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きのうは1食しか食事をとらなかったので、きょうはすぐ近く(鎌倉文学館前)の「小花寿司」へ行き、特上ちらし(二段重ね)を食べることにした。
私は東京の高級寿司店はほとんど行かないし(もちろんそんな金が無いせいもあるが)、少ない体験からいっても、どうだ畏れ入ったか的雰囲気と客扱いの陰湿な差別と「通」ぶった客のふるまいとべらぼうな金額等々によって嫌いだ。
小花寿司は、たいがいの観光ガイドブックにも出ているほど鎌倉でも有名な寿司屋だが、そういう店とはまったく違う。
ご主人と息子さんが板を預かり、おかみさんが手伝う、家族的な生活感のある寿司屋だ。
しかし素材の良さ(地元小坪と築地で選ぶ)と丁寧な包丁さばきは、東京の高級店に決して負けないだろう。
伊集院静氏と結婚して鎌倉に住んだ夏目雅子さんも常連客だった。
写真は「特上ちらし(二段重ね)」。この他に、お通しとして今日は豆あじの南蛮漬け、そして吸い物が付いている。
何種になるか数えてはいないが、新鮮な魚貝がぎっしりとかつ美しく詰め込まれた重と、胡麻、海苔、卵焼きの千切りが載ったすし飯の重が、ふだんは少食な私の食欲を刺激した。
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鎌倉には「隠れた名店」が多いなどと言われる。
本当にそうか。
たとえあったとしても、この情報化の時代に「隠れた名店」であるのはほんの初期だけのことだろう。
そもそも「名店」とは顧客との広い関係を前提にした概念だから「隠れた名店」ということばは矛盾した表現ではないか。
観光客があまり行き来しないようなところにあり、始めは地元民しか行かなくても、本当に良い店だったら、口伝えや電話やメールで伝わり、実際に訪れた人がネットその他でさらに情報を広め、情報誌やガイドブックがそれを嗅ぎつけて取り上げ、使い回して増幅し、あっというまに「隠れた」存在ではなくなる。
要するに「現時点で」「隠れた名店を知っている」(知る人ぞ知る)というスノビズムを満足させるためだけの言葉ではないのか。
私の好きな鎌倉の店のひとつ「PaPa Noel (パパ ノエル)」は2年前にオープンしたのだが、「情報的」にはその典型だ。
「ナディア」というイタリアンレストランの店(ハーブの使い方が絶妙だった)がやっていた場所を引き継いだことも大きい。 私もナディアの後はどうなるのだろう、とときどき見ていたので行くようになった。
(ナディアは今は長谷の裏道に民家を改造してリオープンし、普通の観光客には無縁だが、「情報的」には成功してとても繁盛している。つまり「知る人ぞ知る」存在になっている)
PaPa Noel (パパ ノエル)も、「湘南スタイル・レストラン100」にも取り上げられるようになった。
私はこうしたマーケティング的な観点のことに(考えはするが)あまり興味はない。
人間的に共感できる人たちが、新鮮な素材で工夫を重ねた味の料理をリーズナブルな価格でサーブし、気持ちよい空間と時間を提供しているかどうか、が基本だと思っている(もうひとつ重要な要素として「客」「客筋」「客層」のことがあるがこれはこれで難しい問題)
「PaPa Noel (パパ ノエル)」は私の大好きなビストロだ。
フレンチに少しイタリアンぽい感じを加えたような料理。
14名でいっぱいになる小さな店を、しゃきしゃきとした奥さんと、厨房を預かるちょっと恥ずかしがり屋の旦那さんが切り盛りしている。奥さんはフランスで菓子作りの修行をした経験もあり(ケーキ教室もやっている)、彼女が作るデザートの盛り合わせは評判だ(私はケーキ類をいっさい食べないが、前のカミサンや息子や老母は絶賛している)。
きょうは身体の調子がけっこう良さそうだったので、Papa Noel(フランスでサンタクロースを指す子ども言葉)に行ってランチを食べた。
焼きホタテ入りとうもろこしの冷たいスープ、イサキのソテー(ベルモット風味ソース温野菜入り)、パン、コーヒー。
小坪漁港であがったばかりの魚と、取れたて野菜の新鮮さがめいっぱい引き出されている。
本日のおすすめワインも銘柄は忘れたが、素直に濃厚で旨かった。
私と前のカミサン(現高校3年の私との間の息子と同居)と私の老母は、同じ鎌倉市内で別々に住んでおり、けれど月に1回は、あちこちで一緒に食事してきた。この2年間もずいぶん Papa Noel で楽しいひとときを過ごした。
帰り際に母の入院の事情を伝えると、奥さんは手作りケーキを即座に梱包して、持っていってください、と言う。
病院に持っていく前に、ちょっと開けてみて写真を撮った(右側の白いものは氷を詰めた袋)。
ケーキそのものを撮りたかったわけではない。人の気持ちを撮っておきたかった。
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